インスタント・レッテル

こんな記事を読みました。

短歌は日本語の美しさに溢れているので好きですが、こういうテーマを詠んだ短歌に親しむのは初めてです。格式張っているものが好きな自分には馴染まないのではないかと懸念しましたが、次があれば参加してみたいな、と思うくらいに 楽しんで読むことができました。*1

特に きみじゃないターンの癖にもじき慣れるさスパンコールを踵で踏んだ の句に共感、でしょうか。じんわりこみ上げてくるものがありました。わたしはこの句を見て、文字の向こうに担当が辞めてなんとなく別の子を見始めたパラレルワールドを見ていました。今好きな子がターンに特徴がある子だから余計に感情移入できたのかもしれません。あんなに大好きだった彼のターンのしかたを忘れ、じき彼じゃないターンにも慣れるときが来るのでしょうか。そんな日はとてもじゃないけど来てほしくない、想像したくない。でも実際そんな日が来たらわたしもやっぱり「じき慣れるさ」と言うんだと思います。

ジャニーズJr.のファンはタイプも様々なので一括りにはできませんが、少なくとも自分に関して言えば担当がずっとジャニーズにいてほしい、とは安易に口に出せない文句だと認識しています。「ずっと」は、星に願うには美しく、他人に頼むには無責任な言葉です。どれだけ心を通わせたと錯覚しようと、どれだけ同じ時間を過ごそうと、それは幻で実際はそれぞれがそれぞれの時間を生きています。熱量の違いはあってもそれが生業ではないファン≒消費者にとってアイドルは飽きたら、そこでポイっとできる取り外し可能のコンテンツですから。*2 しかし他の能力(例えば勉強かもしれないし、例えば社会的なことかもしれません)を育む時間も惜しんで*3 活動をしていた彼らにとって、ジャニーズは人生のかけらでしょう。宝物がそこに埋まっていると彼らが信じている限り、わたしたちもそれを信じて掘り続けるのみ。 

人の心は不可視なので、どんな色、形、材質、分かりません。本音なんて本人にも見えているか分からないもの、ましてや他人には見えません。分からないことや見えないものはどんなに考え続けたところで分かるようになったり、見えるようになったりするものではありません。だからわたしは、本人が何を望んでいるかをあれこれ疑うよりも、今見ている景色を大切に切り取って 握りしめておくことを選びます。現在と未来のちょうど間の時制があったら、Jr.ファンはそこに立っているのではないでしょうか。彼らの未来を縛りたくない…というよりハナからそんな権利はどこを探してもないんです。きっと「もしも」のときがきても、わたしは気丈に振る舞います。退所すること、諦めること、方向転換することは決して悪いことではありませんし、悪いことだと思ってほしくありません。彼らがどんな道を選ぶとしても、拍手が届くまではこの手を叩き続けます。それがわたしの言うところの「好き」の意味です。

まだ、短歌は終わっていませんでした。歌中の「スパンコール」 煌びやかな衣装が目に浮かびました。揺れるたびにきらきらと輝く衣装はジャニーズの象徴とも言えるでしょう。*4 少年隊に「星屑のスパンコール」という楽曲があります。「星屑のスパンコール まき散らす ON STAGE」なるほど、スパンコールはまき散らされるもの。それならば まき散らされない、落ちているスパンコールは? スパンコールの衣装がジャニーズの象徴ならば、そこから落ちたスパンコールは事務所の歴史に名を刻みこむことなく消えていったジャニーズJr.たちを暗示しているのかもしれません。もしかしたら、衣装の装飾ではなくて 誰かの零した涙の粒かもしれません。続く「踵」という単語からは なんとなくヒールをイメージしました。そうすると「踏む」行為者は女性率の高いファンのほうかな、って。踏むのはきっと「思い出」。人は歩くとき、踵から重心が移動していきます。もしかしたら ちょうど次へと歩き出す一歩目、過去を踏み、思い出を綺麗な押し花にして進もうとしているところかもしれません。

ところで、中島健人くんを特に好きだった頃、ずっと信条のように掲げていたことがあります。「この人を世界でいちばん綺麗な言葉で飾りたい」。それが実にポエミーな考え方で、そういう表現や夢想を嫌う方には随分不快感を抱かせたと思います。そこでずっとそういうポエミーな部分には蓋を閉めてきたのですが、よくよく考えてみると「中島健人」という個人を他人であるわたしが解釈・創作・捏造して表現するのはなるほど確かに罪にもなり得ますが、「中島健人」を見て感じた「わたし(の感情)」はいくら表現しても悪いことにはならないんですよね。もう少し、表現することに対して緊張をほどいてみてもいいのかなと思いました。

そこで、「短歌」と考え出すとルールが頭を縛り存外難しく反響するので、「キャッチコピー」を考えてみました。

小林瑞生くん:
「フルスロットル 制御しようにも メーターなんて最初からない」
「後ろなんて見なくていい 零れた星はわたしたちで拾うから」

この小林瑞生くんが、今わたしが一番好きでよく見ている子です。瑞生くんを好きになった一番最初の理由は「かわいい」でした。今でこそ口を大きく開けた笑顔のほうがより印象的ですが、わたしが知った頃ははにかみ屋で喋っているときはよく照れたような笑い方をよくしていました。今の印象は、「いつでも笑顔の出力が最大」(笑)歌を口ずさむのも、明るい曲調でずっと笑顔なところも、わたしが見始めてからは変わっていませんが、それでも曲調によって踊っているときは張り詰めたようにかっこよくて時々妖艶で、そこの使い分けに結構参っています。二つ目は「わたしたち」によって自動的に何人か*5 巻き込んでしまっていますが(笑)瑞生くんって 見るたびにちょっとずつ前へ進んでいるんですよね。一年以上直接見られない時期が続いたときも、初めての経験が何度となくありました。そうやって自分がなかなか進めない間も彼は前に進んでいると思うと、後ろを振り返ることもなくこの瞬間もどんどん遠くへ行ってしまうような気持ちになるんですが、実際瑞生くんの通ってきた後ろには残り香じゃないけど軌跡があってそれは星のかけらみたいだな、とよく思います。常に一緒に走り続けることができなくても、瑞生くんが前を見て進んでいく中で持ちきれなくて落としたものたちを拾い集めながら見ていくのも、案外楽しそう。最近そう思えるようになりました。

中島健人くん:
「忘れないで そのままでいて 君こそロマンス」
「森羅万象の指先 その指す方向 それが表紙」

中島健人くんは、わたしにとってはやっぱりいつまでも「ロマンス」そのもので、「物語の主人公」なんですよね。そのままでいてほしいです。健人くんの指ってピンと張っていて、そのまっすぐさには空気も運気も全部追従するんじゃないかなって思います。

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好きな子の好きなところを好きな言葉で表すのって難しいですね。でも楽しかったです。また何かきっかけがあれば書いてみたいと思います。

*1:残念ながら現在新会員の募集は休止しているそうです

*2:厳密に言えばジャニーズJr.は皆が皆アイドルを「生業」としているわけではありませんし、ファンもファンで切り捨てられることとするしないは別の問題です。

*3:「犠牲に」、という言葉は遣いたくありませんでした。ファンとしてタレントを見て過ごした楽しい時間を「犠牲」と考えられるのはつらいので…

*4:もっとも、Jr.の衣装でキラキラしているものは皆が着られるわけではないと思いますが…

*5:Twitterで長く交流している瑞生担の方を想像しました

ロッテに頭が上がらない

「SexyZone Channel」とは—— フジテレビONE/TWO/NEXTで現在絶賛放送中のSexyZoneの冠番組である



今日はどうしても140文字以上にわたってセクチャンの話をしたくて こうしてキーボードをかき鳴らしています。「セクチャン」とは冒頭の「SexyZone Channel」の略称です。契約していなければ見られない局で放送されていますが、あつらえ向きの放送時間・短すぎも長すぎもしない尺・ファンの見たいものを見せてくれる内容の濃さ・再放送の充実などどれを取っても☆5です。Twitterでの実況人口の多さからも伺えますが、忙しい現代人でさえリアルタイムでリラックスしながら見られる素晴らしい番組です。プログラムはスタッフから提示されるお題(ボルダリング、体力測定 etc.)にメンバーが挑戦することで進行します。(わたしは全方面のアイドルに詳しいわけではありませんが、出始めの若手アイドルにはうってつけの構成だと思います。)毎回お茶の間に楽しみを届けてくださる和田さんはじめスタッフさん、SexyZoneメンバーには頭の上がらない思いでおります。あと毎週映してくれるうちのケーブルテレビと録画を担うレコーダーもありがとう。

さて、セクチャンついでに皆様「ロッテ」はご存知でしょうか? ご存じない方などいらっしゃらないだろうと承知の上で…

 製菓会社ロッテ(LOTTE Co., Ltd.)は、1948年(昭和23年)東京都新宿区に本社を置く日本国内大手の菓子メーカーである。日本で創業して以来、世界各地にグループを展開しており、特に創業者の出身地である韓国においては積極的な投資を行い大規模な事業展開を行っている。 — Wikipedia「ロッテ」の項目より一部引用

つまり大企業ですね。このロッテ、実は以前SexyZoneをCM広告に起用した「フルーティオ」というガムを発売し、ガムそのものよりも とあるWebニュースで「!」が「ぼ」に文字化けするという衝撃で話題になりました。そういう意味で、SexyZoneとは縁のある企業ですね。ことの発端は8月14日OAのセクチャンでした。

唐突な番組からのお知らせーー

SexyZoneを取り巻く不穏な空気も感じていましたから「お知らせ」と聞いてまず唾を飲み込み、悪い報せを覚悟しました。

和田さん「番組のグッズを考えといてください」

良い報せだった(°_°)

「メンバーカラー」「オリジナルキャラクターを使ったグッズ」そんなかわいらしい夢が飛び交う中、彼らのくだした結論は「ガム」—— とんだガムアイドル誕生の瞬間でした。それもただのガムにやあらず、「ロッテさんとのコラボガム」。番組がどこまで干渉できるのかは存じませんが、コラボ商品として店頭で一般販売したいとなると事務所、ロッテ社との擦り合わせが不可欠で わたしはこの時点ではコラボが実現するとは考えておりませんでした。待て次週。と、思ったら待たずして結果が出ていました。

和田さん「オーケーだそうです」

!!!!!!!!

感嘆符だけでわたしの驚きが100%伝わったか不安です。彼らはアイドルとして就労していますが年齢的にも身分的にも確かに学生でもあり、すなわち商品企画などまったくの専門外、まさに戦場に置かれた訓練を受けていない兵士も同然(たとえが物騒ですみません)です。そんな彼らに主導を握らせる番組スタッフ、またその企画にゴーサインを出すロッテ社の心意気に脱帽でした。

わたしもマーケティングや商品企画は畑違いですが、SexyZoneのメンバーのアイディアとフルーティオを比較して分析してみました。楽しかったです。(わたしが)

  • ボトル型より直方体型のほうがなんとなく買ってみるにはお値打ち
  • ボトル型のほうが一回の利益は大きいが内容量が少ない直方体型のほうが追加購入が見込める
    これは誰をターゲットにするかにも依りますが… このガムの購入を考えるのはアイドルに興味や好意を抱く女子中高生が主でしょう。狙いをそこに絞るとして、この層はお小遣いでやりくりをしている人も多いと思われるので(裏打ちするデータはありません)ボトルガムはちょっとした出費です(おそらく)。通常ボトルガムよりは直方体型のパッケージのガムのほうが安価(※店頭で価格を比較した経験則に基づく)なので、そちらのほうがなんとなく買ってみるには手が出しやすいでしょう。
    次に、リピーターを狙うか初動を狙うかによって戦略が変わると思いました。後者を狙う場合はむしろボトルガムのほうが都合いいでしょうし(どうせ一度しか買われないのならば高いほうが利益が大きい)、このガムで一般層(アイドルに興味のない人々)のリピーターを増やすのは難しいでしょう。*1 また、上で限定した年代の子は体型にも敏感なので普段の生活においてあまりたくさんのガムは食べないです。(高校時代、癖のように噛んでいる子もごくわずかいましたがだいたいが眠気覚まし・虫歯予防で甘くないガムでした)その点でもボトルガムは手が出しづらい。ただし、女子には友人と物を分け合う習性(?)や鞄の中身を飾る習性(?)もあるのでボトルガムなんかは存在感もあって見栄えもしますし周りに分け与えやすい分、比較して高価でも好まれることもあるのかな?
    いずれにせよガムのパッケージの形状は元々種類がありますからこの点で購買数に大きな差が出ることは思えません。
  • (想像)紙パッケージのほうがボトルより生産コストが少ない
  • (想像)ボトル型・直方体型で広告費には大差ないので起用するならばボトル型で写真を大きく使ったほうがお得感がある
    どちらも生産コストや広告費をデータで比較したわけではないので想像の範疇を出ません。後者も心情的なものなのでイマイチ分析になっていない気がします。保留。
  • (想像)新たな味を開発するコスト
    フルーティオはポピュラーな味だったのに対し今回は彼らがオーダーした複数の味を実際にロッテ社が再現、そこから会社のほうで販売する味を決定していました。そしてここからが想像になりますが、前者はオーソドックスな味ゆえベースとなるサンプルがたくさんあると思います。そうすると開発のコストはそんなに高くつかないはず。後者、特にチョコバナナやセクシーローズに至っては参考になる or 似たサンプルなんて早々ないでしょうし全ての味を見当した分、開発コストはフルーティオのシンプルな味と比較して高くなったのではないでしょうか。ここまで想像です。しかし既存の味を敢えて新商品として展開する意味もありませんね。
  • 彼らの顔があることで逆に購入を控える層もいる
    これは自分の経験から出た見方ですが、ジャニーズアイドルが苦手だとパッケージに彼らの顔が表示されている商品はなんとなく敬遠してしまいます。悲しいことですが彼らの顔があることで逆に購入を控える層もいることは間違いありません。ただし、その層がボトルガムの購買層のメインを占めていることは(予想ですが)… ないでしょうね。



と、素人目には改善点がまだまだありそうに見えるのですが(実際は専門家や様々な人のチェックを経て生産に至っているはずなのでそんなことはないと思います)そこにゴーサインを出し、さらに 提案された味すべて開発を試みるロッテ社には頭が上がらないです。こういうことができるからこそ、大企業なんですね。そんなガムは9月9日販売開始だそうです。コンビニへ急げ。

*1:アイドルを起用した広告が反作用する場合もあります

この し・あ・わ・せ を!

1ヶ月ほどの前の話になりますが、7月23日に帰国早々コンサートへ行ってまいりましたので、その総括を残します。(あらかじめ断っておきますが、健人担ではありません。)

SexyZoneについては 現状を含め、今回のコンサートの前評判も色々と耳にしており、それでもなお心待ちにしていました。(なにせコンサート自体一年以上ぶりだったので…)友人と合流し、腕に光る時計の長針が真上に近づいていくにつれ、なんだか久しぶりにあの高揚を思い出してきたようでした。

3人の曲から始まったコンサート。知らない間に知らない人になってしまったようで、1曲目にそれを選択したことでこれからの彼らの歩む方角が示されたようで、わたしにとっては少し悲しい幕開けでした。いつもどおり、この心の曇りを一掃したのは中島健人くんの存在です。SexyZoneファンの困惑とJr.ファンの興奮とが溶けて混じる空気を両断するように、金の衣装の裾を翻し迷いなく突き進む彼の姿は見ていて実に気持ちのいいものでした。

しかしいかに健人くんが自分の理想的中であってもそれだけですべてを忘れられるほどことは単純ではなく、とはいえ複雑な感情も結局はひとつに集束するのですが、その話をするにはまず彼のソロコーナーに言及せねばなりません。

健人くんのコーナーは彼の初めてのソロとともに始まったのですが、あのTeleportationはおそらく会場の多くのファンに2012年の夏を想起させたに違いありません。(余談ですが、当時その場にいた現担当が今ここにいないことがまるで間違い探しの「間違い」のようで、わたしには少し寂しかったです…)おかげで「あの頃」に焦がれる気持ちはかえってかさを増し、しかし深く沈むよりも前に一瞬で景色は塗り替えられ—— もちろん眼の前で椅子に座りピアノを奏でている健人くんのしわざですが—— そこからまた眺めは一転してCANDYのはつらつとした音が雰囲気を彩り、天に向かって伸びる指先があんまりまっすぐだったので、まるでその指の示す方向に健人くんの未来が向かっているようでした。

(腑に落ちるとはこういうことか)

こりゃ、未来は明るいぞ。アイドル中島健人はファンがどうこう言うまでもなく毎日着実に完成に向かって歩を進めていて、自分は彼のこの姿を見てただ確信を持ちたかっただけなのだと知りました。 

そういえば、この間見た健人くんは今まで見た中でいちばん「強い」感じがしました。その鮮明さは、5人でも3人でもたとえ1人きりになっても、この人はSexyZoneとしてジャニーズとしてステージに立ち続けるに違いない、そんな確信にも似た思いが抱かれるほどでした。

だから自分の中で決着がついたというか、わたしは今はこのまま流れに従うつもりです。しかしそれはグループを投げ出す構えではありません。もちろん5人ではなく3人体制を打ち出されたことは悲しいニュースでした。今までがすべてなかったことにされてしまうかもしれない。自分の過ごしてきた時間が白紙にされてしまうかもしれない。その可能性に恐れを抱かなかったと言えば、それは滾る炎よりも明らかな嘘です。

言葉も完全じゃない知らない土地でひとりで生きることのつらさ、マリと自分を重ねるつもりは毛頭ありませんが、似たような経験をして前よりは想像が及ぶようになりました。わたしは実際見ていませんが聡くんがバク転を成功させたという話も小耳に挟みました。デビューした当初ラジオ内で目標に掲げていたことをよく覚えています。そういう目に見えて分かるほどの努力がなかったことにされてしまうのならば、それは残念なことです。わたしが気に病んでいるのはもはや人数云々よりも、そちらのほうです。 

中島健人くんがいるかぎりSexyZoneの輪郭は失われないし、彼がいるかぎりどんなに離散してもメンバーの帰れる場所は持続するし、それならわたしは現状がどうあろうとじっと堪えて朝を待ち続けることができるかもしれない—— 今は、5人のSexyZoneには ‘森へ続く道のどこかで会えたなら’ くらいの気持ちでいます

仮に3人体制が根付いてしまってから再び5人になったとしても それが今までのSexyZoneとイコールかは正直分かりません。戦乱のようなショービジネスの世界ではこれが甘く淡い期待であることも 中島健人くんを贔屓しているからこそ口にできる見方だということも承知で、わたしは怒りや悲しみや焦り*1よりも期待を胸に飾って堂々といたいですし、現状維持のためではなく何か素敵な未来のために働きかけていたいです。足踏みではなく前進するためにパワーを使いたいのです。

これはわたしの価値観なので万人に強制できるものではありませんが、「楽しくないこと」を趣味として無理矢理に摂取する必要はないと思っています。苦しいことに敢えて挑むことが熱量を測る指標になるなんてナンセンスでしょう。笑って、楽しんで。そうできないものに出会ったときにはぐっすり眠って翌日にまた楽しいことを探しに行けばいい—— そう思っています。

*1:これもまた余談ですがやりきれない思いでいるSexyZoneのファンが踊れていないJr.に厳しく物申していたのも、苛々や鬱憤の矛先をJr.に向けられたようでなんとも残念な気分になりました…